ゆと里スペース

いなくなってしまった仲間のことも思い出せるように。

「心の性」と「身体の性」をやめるべき理由

 この記事では、トランスジェンダーの人々について説明するためにずっと用いられてきた「心の性」と「身体の性」という表現について考えます。わたしが誰か知らない方向けに自己紹介をしておくと、わたしは『トランスジェンダー問題』(明石書店2022年)の訳者であり『トランスジェンダー入門』(集英社2023年)の著者の一人であり『トランスジェンダーと性別変更』(岩波書店2024年)の編者です。4月には『トランスジェンダーQ&A:素朴な疑問が浮かんだら』(青弓社2024年)が出版されます。
 この記事を通して、わたしは、これらの概念の組み合わせは、それだけではトランスの人々について何かを語るための役に立たないと主張します。しかし、それは「心の性など存在しない」とか「身体の性など存在しない」という主張とは違います。また、「心の性という表現を使うべきでない」という主張とも微妙に違います。誰かに何かを説明するにあたっては、相手の予備知識や発達段階などに応じて、様々に表現方法を変えることが求められます。ですから、これらの概念やその組み合わせに「それ自体で問題がある」とはわたしは思っていません。使わないで済むなら使わない方がいいと思っていますが、それはまた別の話です。
 「心の性」と「身体の性」という組み合わせが役立たずである理由は、いくつもあります。なかでも今回の記事では、「トランスの人たちの状況についてちゃんと語ろうと思うなら、そんなものでは足りない」という話をします。なお、この記事は先述の『トランスジェンダーQ&A:素朴な疑問が浮かんだら』の執筆を通して得た知見を多くふくんでいます。ですので、記事に興味をもった方はぜひ本を予約してください(※発売は 4/25 です)。

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1.あるトランスジェンダー男性の例

 具体的な議論を始めるにあたり、ひとりの架空の人物に登場してもらいます。トランス男性のハルトです。
 ハルトは現在27歳、都内の企業で働いています。生まれた時は「女性」として登録されましたが、大学時代に自身の性別違和をやり繰りできなくなり、性別移行を始めました。大学在籍中から、すでに初対面の人には「男性」として認識される状態になっており、21歳のときに始めたホルモン治療の影響で、声も低くなっています。筋トレも頑張ったので、そのへんの男性よりも肩回りはがっしりしています。卒業後はフリーターとして飲食店などで働き、お金を貯めて胸の膨らみを取る手術を受けました。26歳になったころから、現在の会社で正社員として働いています。
 ハルトは、男性としての人生に充実感を覚えています。自分がそうではないはずの性別を押し付けられ、自分を騙していた「女性」時代とは違って、これこそが自分の人生だったと感じます。これからも自分は男性を生きるだろうし、男性として死ぬのだろうと当たり前に思います。男性であることがハルトのアイデンティティなのです。
 会社の同僚たちは、ハルトがトランスジェンダーであることを知りません。ただの男性社員として認識しています。しかし、会社の人事部の担当者と、部長だけは別です。戸籍の性別の表記が「女性」である状態で入社したので、就職の話をもらった時点で、どうしても伝えざるを得なかったからです。
 ハルトの戸籍の登録は「女」です。昨年10月の最高裁判決まで、ハルトのような人は卵巣(と子宮)を取らなければ戸籍を訂正できなかったのですが、ハルトにはその手術を受ける希望も、お金も、時間もありませんでした。今も住民票や保険証には「女」と書かれています。
 会社の部長とは、日常的にはあまり接点はありません。しかし部長と会うと、ハルトは嫌な気持ちになります。周囲の男性社員とは違った扱いを受けていると感じるからです。部長は自分を「男」ではなく「女性」(それも幼い女性)として見下している気がする。ハルトはそんな気持ちになります。大人数が集まる機会に部長がいると、ハルトは落ち着かない気持ちになります。
 ハルトは中部地方の出身です。実家の両親は、ハルトの性別移行に理解があるはずでした。しかしホルモンで声変わりをしても、筋トレで立派な上半身を手に入れても、胸オペをしてフラットな胸になっても、どうやら両親はハルトを「娘」だと思い続けているようです。人前でも平然と昔の(女性の)名前で呼んできますし、ハルトはもうなかば諦めています。
 最近の趣味は、地元のバドミントンサークルです。性別への違和感が理由で高校時代に退部してしまったのですが、もともと運動は好きだったので、地元のクラブで再開しました。もちろん、仲間たちはハルトがトランスジェンダーであることを知りません。そういえば、ハルトは映画を観るのも大好きです。もちろん、会員登録は男性です。

 ―――さて、ハルトの状況はどのようになっているでしょうか?

 ハルトのようなトランス男性は、いっぱいいます。生活している様々な場所に応じて、存在する性別の様態が「ばらけて」いたり、「まだら」になったりしている状況のトランスの人です。(『トランスジェンダー入門』では、これを「分散」という言葉で説明しました)

2.性別の多元性

 注目すべきは、それだけではありません。ハルトの「性別」について考えるとき、私たちはいくつもの側面からそれを考えることができます。上の表にある通り、性別は多元的なのです。
 まずはジェンダーアイデンティティ性自認や性同一性とも呼ばれます。自分をどの性別として理解し、納得し、将来にわたってどの性別として生きていこうとするのかという、アイデンティティにおけるジェンダーの側面です。
 次に書類上の性別。日本では戸籍の性別と言えば分かりやすいかもしれません。ハルトは、アイデンティティが男性であるにも関わらず、出生時の登録が「女性」だったせいで面倒な目に遭ってきたようです。
 その次は身体の性的特徴。第一次性徴や第二次性徴をはじめとして、女性にありがちな身体の特徴と男性にありがちな身体の特徴には傾向の違いがあります。ただし、それらの性的な特徴はあくまで平均や傾向の違いにすぎず、「男性」の全員が同じ身体の特徴を持つわけではなく、それは「女性」も同様です。また、そうした性的特徴のいくつかは、医学的な措置によって変化させることもできます。ハルトの場合は、声の低さ(高さ)、筋肉のつき方、平らな胸…といった点では男性的な身体の特徴を持っていますが、多くの男性にはない内性器を持っているようです。果たして、ハルトの身体は「男性の身体」でしょうか「女性の身体」でしょうか。そんなに乱暴な二分法でハルトの身体を切り刻むのは、どうやらひどいことに思えてきます。
 そして最後は、生活上の性別。これは、生活の「場」に応じて変化することがあります。ハルトについては、職場では完全に「男性」として過ごせていますが、部長の存在だけは気がかりです。映画館でもスポーツジムでも、バトミントンのサークルでも「男性」として存在できていますが、実家では「娘」扱いされてしまっているようです。
 こんなふうに「性別」は多元的です。ジェンダーアイデンティティ、書類上の性別(法的登録)、身体の性的特徴、生活上の性別……。これらを区別しながら丁寧に見ていくことで、やっとハルトの「性別」の状況が見えてきます。

3.トランスジェンダーの多様性

 この多元性は、トランスジェンダーの人たちに多様性をもたらします。すぐに分かると思いますが、これらの多元的な性別の組み合わせは、多様だからです。例えば次の表を見てください。

 字が小さくて申し訳ないです。生活上の性別としては、職場・実家・商業施設の3つの「場」を挙げました。そして4人の男性がいます。一番左がシス男性で、残り3人がトランス男性です。うち1人がハルトです。
 まずシス男性。ジェンダーアイデンティティも、法的登録も、生活上の性別も全て「男性」です。身体の性的な特徴も、ほぼ男性に典型的なものです。次のハルト(トランス男性①)は、さっき見た通りです。
 では、トランス男性②を見てください。彼は、法的登録も男性です。性同一性障害特例法に則って、すでに戸籍の訂正をしたようです。身体の性的な特徴も、ほとんど完全に男性に典型的なものになっています。上から下まで「男性」ですね。こういうトランス男性は、現実にたくさんいます。シス男性と区別がつきません。
 最後はトランス男性③です。こちらの男性は、アイデンティティは明確に男性ですが、それ以外の点では「女性」ないし「女性的」である部分が多いです。書類にも「女性」と書かれ、職場でも「女性社員」として働き(=働かざるを得ず)、実家に帰れば「女性」扱いされ、映画館など商業施設でも「女性」として接客されます。身体の特徴も、筋トレやホルモン治療、胸オペなどしていませんので、現在の社会では「女性」に典型的・ありがちな特徴を多めに備えています。もしかしたら本人にとっては、それが強い違和感の理由になっているかもしれません。そして、この③のような状況のトランス男性も少なくありません。彼は、これから様々な水準での性別移行を経験するかもしれません。あるいはしないかもしれません。いずれにせよ、こういう状況のトランス男性も多く実在しています。
 これまで、性別の多元性に注目しつつトランス男性の多様性を見てきました。すぐに分かることですが、こうした多様性はトランス女性の人びとにも、ノンバイナリーの人びとにも存在しています。「トランス男性/トランス女性/ノンバイナリー」といった集団のなかには、無限の多様性がありますが、実は「性別」という点だけとっても、状況はほんとうに多様なのです。

4.「心の性」と「身体の性」

 トランスジェンダーの人たちについては、これまで「心の性と身体の性が異なる」といった説明がなされてきました。新聞報道でも、いまだにそうした表現が使われることがあります(たとえばこの東京新聞の記事)。シスジェンダー中心に文化や言語が構築されてきたなかで、シスの人たちでも理解できる言葉として選ばれてきたのは確かに事実です。
 しかし、落ち着いてよく考えて欲しいのです。たとえば先ほど4人の男性(うち3人がトランス男性)が出てくる表をご紹介しました。こうした多様性は、「身体が女性」だけど「心は男性」…といった説明では、ぺっちゃんこにされてしまいます。「身体は女性だけど、心は男性である」という、これまでずっとトランス男性の説明に使われてきた言いまわしからは、このような多様性は見えてきません。トランス男性のなかにはシス男性とほとんど変わらぬ性別の実態を生きている人がいるという事実も、トランス男性のなかに著しい差異があるという事実も、見えてきません。
 これが、「心の性」と「身体の性」という概念の組み合わせが役に立たない理由です。この概念の組み合わせは、トランスの人々が生きる現実をほとんど全く反映していません。むしろ、聞き手に対して偏ったイメージを惹起するという点で、もはや有害さの方が最近は指摘されるようになっています。
 ただし、注意してください。わたしは「心の性が存在しない」とか、そういうことが言いたいのではありません。むしろ逆です。「心の性と身体の性」という言い回し(概念の組み合わせ)は、ほんらいはトランスジェンダーの存在を承認するためにこの社会が求めてきたものだったはずです。その目的を忠実に遂行するならば、むしろわたしはその表現をそろそろ卒業しよう、と言いたいのです。

 以上で、この記事を終わります。最後にもう一度、宣伝で恐縮ですが、これまで書いてきたことは、新刊『トランスジェンダーQ&A:素朴な疑問が浮かんだら』(青弓社2024年)の執筆のなかで明晰化されたアイディアに基づいています。この本は『トランスジェンダー入門』で書ききれなかったこうした着想と議論を周司あきらさんと総動員したものです。ご興味ある方はぜひ読んでください。
 この記事が皆さんの役に立つことを願っています。