ゆと里スペース

いなくなってしまった仲間のことも思い出せるように。

2023年の振り返り

 はてなブログの機能で「去年のあなたのエントリを読み返しましょう」みたいな提案がメールで届いていた。去年「2022年の振り返り」を書いていた。12月30日。

yutorispace.hatenablog.com

 読み返して驚いた。自分では今年(2023年)の仕事だと思っていたことがいくつも書かれていた。自分のアウトプットすらきちんと追跡的に記憶することができていないのはよくない。

 去年の時点で「できなかったこと」として書き留めたもののうち、今年も実現できなかった大きなこと。博論の書籍化。書きたいこともあるし骨格もとうにできているが、最近の先行研究を反映したものとして著作にまとめ上げる時間がまったくとれなかった。出版社も待たせてしまっていて本当に申し訳ない。

 今年の生活にとって最も大きかったのは『トランスジェンダー入門』の出版。実際の執筆活動は昨年中に終わっていたが、とにかく7月の出版後が忙しかった。合計7つの出版記念イベントを組むことができたが、どれも非常に参加者が多く、プレッシャーがすごかった。相手が研究者で、話の内容について想像がつく機会は除いて、イベント前は対談相手の方との話のシミュレーションに多くの精神的リソースを使った。
 わたしには「話す」機会が与えられている。より正確には、わたしみたいな人間に偏ってその機会が与えられるようにこの社会はできてしまっている。何もしないこともできる。ただ、この歪な状況でわたしに与えられている機会と課せられた責任を、わたしは額面通りに引き受けることにした。周司あきらさんと『トランスジェンダー入門』を書くと決めたときに、そう決めた。こんな責任、逃げた方が楽だといつも思う。
 去年は『トランスジェンダー問題』を翻訳した。2022年の日本に必要だったと胸を張って言える。ただ、状況は変わった。トランスジェンダーをめぐる情報と言論の環境はさらに悪くなった。だから『トランスジェンダー入門』を書かなければならなかった。とはいえ昨年『問題』を訳していて本当によかった。『問題』を訳していないのに『入門』を書くのは、想像もできない。
 出版後の忙しさは、執筆以外の仕事が激増したことに由来する。新書を出すとはこういうことかと思った。ちょっと仕事を入れすぎた。新書の出版とは関係ないものも含めると、今年は8件くらい新聞に出て、3回くらいラジオに出た。講演の数は数えていない。ただ、ひとつひとつとても記憶に残っている。これまでつながりのなかった多くの方とつながることができた。
 新書執筆以外にも、トランスジェンダーに関連する執筆がいくつか。ひとつは雑誌『すばる』8月号にエッセイを寄稿した。もうひとつは『現代用語の基礎知識2024』に周司あきらさんと共著でトランスジェンダー関係の項目を書いた。この『基礎知識』のエントリは、新書を書いてから半年たった時点でのわたしたちの認識をまとめたもので、めちゃくちゃ良い文章が書けたと思っている。
 そして、去年の振り返りの時点ですでに『トランスジェンダー入門』の原稿ができていたように、来年もトランスジェンダー関連書籍がいくつも出る。今年の10月からはそれらにかなりエネルギーを注いだ。来年でる。再来年はもう出ないだろう。というか、再来年にはわたし以外の書き手がもっと増えていてほしい。わたしの役目それまでの開墾と「つなぎ」役にすぎない。
 研究の方では、がんセンター以来のチームでひとつ英語の論文が出た。日本語の論文は、『生命倫理』にトランスジェンダーの性別承認法における不妊化要件についての論文を載せた。今年の10月にちょうど日本の最高裁でも違憲判断が出たやつ。あとは実存思想協会の『実存思想論集(特集:フェミニズムと実存)』にも寄稿した。フェミニストクィア現象学ハイデガー存在と時間』についての論文。関わりが深いにもかかわらず、あんまり研究が進んでいないのでサーヴェイ的に書いた。詳しくは今度論文にしたい。学会発表は例によって何件やったのか数えにくい。医哲倫の大きなシンポと、生命倫理学会の公募シンポ、公募ワークショップに登壇したほか、大学主催のオープンな研究会・シンポジウムにも何件も呼ばれて発表した。よく身体がもったと思う。30代前半のわたしは本来は若手の研究者に数えられるはずだから、研究領域全体のことなんて考えずにただただ研究論文を量産していたい。ただ、なんだかそれももう許されなくなってしまった。逃げたいときもある。ポストが安定しているのは確かにありがたい。ただ、もうすこし若手研究者でいさせてほしかった。
 教育の方では大学でベストティーチャー賞(優秀賞)をもらった。昨年の履修者学生からの投票で、学部からひとり選ばれる。今年は新しく英語の論文を講読する授業を担当することになったのでJenny Morris のフェミニスト障害学の論文を学生たちと読むことにした。後期は東大で「生殖=再生産の倫理」を開講している。14年ぶりに戻った駒場は、全体としてあんまり変わってはいなかったけれど、わたしの授業に出てくれている学生たちの様子はかつてからは想像もできないくらい違う。ただ、マイノリティの学生が安全に学ぶことのできる環境はぜんぜん整っていない。

 群馬に住み始めて1年8カ月が過ぎた。死ぬほど忙しかったのに、群馬県内ですでに1回引っ越した。群馬は、住むにはいいところだ。野菜が美味しい。大きな河、きれいな河が流れている。家が広い。そして、カフェやレストランの座席の間隔がひろい。東京なら10人収容されるだろうスペースに、群馬だとだいたい6人くらいのテーブルと椅子が置かれている。夜は星がきれいにみえる。月明かりのありがたさを感じる。
 よく考えたら、東京がどうかしている。乗車率が常に150%あるような電車を当たり前のように利用するなんて、どうかしている。お金を払わないと座って休むこともできないなんて、街の設計としては落第点以下だ。不快感ばかりが溜まるギチギチのチェーンのコーヒー店で、昼休憩を過ごす時間を奪い合っている。美味しくもないのに見た目ばかりが均一できれいな野菜を買うしかない。群馬に来て「星が見える!」とテンションが上がったけれど、よく考えたら逆だ。東京の夜が明るすぎるんだ。

 あまり体調がよくない。9月ごろから、階段をあがるだけで心臓が異常に拍動するようになった。階段を上り下りするときに深呼吸をすると意識を失いそうになる。自転車をこぐだけで全身がぐったりしてしまう。90分の授業をする前は、毎回「倒れませんように」と念じている。昨年のブログの時点で、こう書いていた。

とはいえ、この状況をあと何年も続けるのはどう考えても無理だ。これまでは脳の回転数を上げて、メモリを開拓してしのいできたけれど、ここ1年くらいで物理的な限界が近付いている感覚がある。あとは生活の時間を抵当に入れて脳みその稼働時間を増やすしかないけれど、1日は24時間しかないし、結構これも限界が近づいている。

この「限界」が、はっきり見えた1年だった。脳みその回転量を上げても、もう補いきれない。朝起きた瞬間から夜寝る瞬間まで働き続けた1年だった。フルで休んだ日は年間通して5日もないとおもう。精神よりも先に肉体の方が限界に近付いてしまった。
 最近、絶対に意識を失ってはならない場所で意識喪失してしまった。たまたま友人が近くにいたから命を救われたけれど、状況がすこし違えば文字通り死んでいた(溺死)。あとで振り返って「わたし死にかけたんだな」と思うと、なんだか変な気持ちになった。友人には心から感謝している。友だちがほんとうに少ない人生だけれど、この数年で新しく親しくしてくれている友だちと、わたしの仕事を通じてわたしを気に懸けてくださるすべての仲間には、平和に長生きして欲しい。

 得たものは多かった。失ったものも、多かった。そういう1年だった。年末年始は、すこし休ませてもらう。わたしは来年の振り返りを書くことができるのだろうか。

 ※ 最近はThreadsによくいます。

www.threads.net