ゆと里スペース

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特例法5号(外観)要件はなぜなくなるのか

 この記事では、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(以下「特例法」)に含まれた、外観要件について書きます。特例法は、トランスジェンダーにあたる人たちのうち、生きていく性別を変えたことで戸籍上の性別登録とのあいだに齟齬が生じ、それが生活上の不利益となっている状況の人たちが、戸籍の性別登録を変更できるようにする法律です。いま、これだけ読んでも分からなかったという方は、以下の記事をお読みいただければと思います。

yutorispace.hatenablog.com

 また、そもそも特例法って何?という方は、わたしが編者として刊行した『トランスジェンダーと性別変更』(岩波ブックレット)をお読みいただければと思います。

www.iwanami.co.jp

 さて、この特例法ですが、トランスの人たちの戸籍変更にあたって、過酷な条件を課し続けてきました。具体的な要件は同法の3条にあるのですが、そこに挙げられている5つの要件のうち、5番目がこの記事のテーマです。この記事では、最初にこの要件が何を命じているかを確認してから、まもなくこの要件が無効化していくこと、そしてその理由について書きます。

1.外観要件

 今日の主題である5番目の要件は「外観要件」と呼ばれます。

その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。(特例法第三条の五

 現在の一般的な解釈では、この要件は、戸籍上の性別登録を「女」から「男」に変更したい人に対しては、ホルモン治療(テストステロン)で陰核が肥大化していることを求めています。肥大化した陰核をもって、それが「矮小陰茎」に近似する外観となっている、という解釈です。対して、戸籍上の性別登録を「男」から「女」に変更したい人に対しては、外科手術によって陰茎を切除することを求めています。とくに問題なのは、この手術です。
 なぜなら、性別登録の変更を必要とする状態にある人のなかには、陰茎切除の手術を受けていない人や、受けられない人、また受けるつもりが(現在のところ)ない、という人も存在しているからです。つまり5号要件は、戸籍を変更する(出生時登録「男性」の)人に対して、戸籍変更時点一律に手術を受けていることを求めるために、少なからぬ人に結果として手術を強制してしまうものとなっています。
(※ただし、実際には「外観が近似する」というのは極めて曖昧な文言であり、最終的な判断は戸籍変更申立にあたって所見などを提出する泌尿器科医等の主観的な判断に依存しています。そのため、過去に戸籍変更が認められた全ての人がホルモン治療や陰茎切除を受けていたかは不明です)

2.昨年の最高裁判決(4号違憲) 

 この5号(外観)ですが、まもなく消滅します。秋の臨時国会あるいは来年の通常国会で特例法が改正されるタイミングで確実になくなりますし、国会での法改正を待たずとも、死文化する見通しです。なぜなら、もうすぐ下る広島高裁の判決で、5号要件に対して違憲判断が下り、その高裁判決後は、各地の家裁はこの決定に従うだろうと見込まれているからです。
 こうした状況が出現したのは、昨年10月に最高裁で重要な判決が出たからです。それは、同じ特例法の4号(不妊化要件)が憲法に違反する、というものでした。

四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。

 この4号要件に対する最高裁違憲判決は、5号要件の消滅のための道を開きました。なぜなら、4号違憲を導いたこのときの判決の論理は、そっくりそのまま5号要件にも適用できるからです。加えて、最高裁の多数意見としては5号の違憲性は審査しなかったものの、同時に5号違憲にまで踏み込んだ個別意見がいくつも出たからです。あまりこういう言い方はすべきではありませんが、最高裁は下級審である広島高裁が5号に違憲判決を下すための完璧なお膳立てをした、と言えると思います(後述)。
 では、最高裁はどのような論理で4号に違憲判決を下したのでしょうか。簡単に示しておくと、次のようになります。

 最高裁はまず、4号(不妊化)要件は戸籍変更を求めるトランスの人たちに「原則として生殖腺除去手術」を求めるものであるとしました。実際、この要件を満たすには卵巣摘出や精巣摘出の手術が必要になります。そのうえで最高裁は、そうして手術を一律に強いることは、憲法13条が保障する「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由」を制約するとしました。これは「身体的統合性」と呼ばれることもある権利ですが、この4号要件があるせいで、トランスの人たちは「手術を受けるか、戸籍変更を断念するか」という「過酷な二者択一」を強いられることになり、結果として身体的統合性の権利が侵害される状況になっているとしたのです。ここまでが、議論の大前提です()。
 そのうえで最高裁は、次の問いを立てました。果たして、このような人権の制約を正当化するだけの理屈はあるのか。手術を一律に強いるほどの、よほどの事情はあるのか()。この問いに対して最高裁が出した答えは、NOです()。現在の日本社会において、性別変更を求めるトランスの人の大切な権利を制約するほどの事情や根拠はない。よって、特例法の4号要件は憲法に違反する。
 この結論を導く問い()を検討するなかで、最高裁は4号要件を正当化しうるかもしれないいくつかの材料を検討しています。例えば「生殖能力を有したまま法的な性別を変更した人が生殖をすると、親子関係に問題が生じ、社会が混乱する」あるいは「女性は卵巣をもつ、男性は精巣をもつといった、性別についての社会の常識的な区分が急変してしまう」といったものです。しかしそのいずれも、戸籍変更を求める当事者の数が少ないことや、すでに「女である父」(※本人の戸籍の登録は女だが、子との関係では父である人のこと)や「男である母」は存在するが、社会に混乱は生じていない、といった根拠に基づいて斥けられます。つまり、そこで言う「社会の混乱」や「常識の急変」といったものは、大前提となる人権侵害(①)を許容する・正当化するだけのよほどの理由にはなりえない、ということです。

3.外観要件(5号要件)はどうなる?

 以上の論理を5号要件に適用します。先ほどと同じように考えてみましょう。

 前提は同じです。最初に確認したように、5号要件は(男→女への戸籍変更にあたり)手術を一律に求めており、憲法13条が保障する権利を制約しています(①)。
 次に、問いです。そうした権利の制約(人権侵害)を正当化するだけの事情が、現在の日本社会にはあるのでしょうか(②)。
 そもそもこの5号(外観)要件が特例法に挿入されたのは、公衆浴場での混乱を避けるためであったとされています。法的な登録は「女」だが、身体的には陰茎のある状態の人が存在すると、公衆浴場が混乱してしまうのではないかと、その当時の立法者たちは考えたようです。
 この懸念には、いくつも不適当な前提が含まれています。しかし、いったんその懸念の妥当性を認めたとしても、だからといってこれは、トランスの人たちの人権を制約することを許すような根拠には到底なりえません。なぜなら、言われている「混乱」は、浴場の利用に身体的な特徴に関するルールを設けるとか、そのていどの工夫で解決しますし、実際のところすでに、公衆浴場はそのようなルールによって運用されているからです。
 別の言い方をするなら、「お風呂の混乱を防ぐ」という目的に対して、「一律に手術を強制しよう」という手段はあきらかに不釣り合いです。例えば、アルバイトによる売り上げの略取を防ぐために、採用したバイトの右手を切断しようと言ってる店長がいたら、明らかに間違っていると思うでしょう。「採用するバイトが売り上げを盗むのではないか」と、はじめから疑ってかかるのもどうかと思いますが、仮にそうした「バイトによる略取を防ぎたい」という目的が仮に正当だとしても、そのための手段としてバイトの右手を切断するなど、手段としては到底理解不能な、意味の分からない傷害行為でしかないからです。
 5号要件も同じです。そもそも、ほとんど全てのトランスの人たちは、陰茎のある状態で女湯に入ってそれを露出すれば、混乱が起きることくらい理解しています。ずっと身体の特徴によって人生を狂わされ、生きていくためだけに、いま自分の身体で通過できる空間と通過できない空間を見極めることを強いられる。それが、これまでの社会で性別移行を経てきた人たちの経験です。ですから、そうしたトランスの人たちが、わざわざ女湯で陰茎を露出しようと思案するという想定自体が、そもそも現実味を欠いています。アルバイトで採用する人をはじめから全員「レジ泥棒」として疑うよりも、はるかに合理性がないとわたしは思います。
 そのうえで、仮にその「懸念」が正当であるとしたとしても、言われている「お風呂の混乱を防ぐ」という目的に比して、「そういうわけで陰茎を切って来てください」という手段は、明らかに過剰です。
 もう1つ別の例も挙げておきましょう。例えば「体重100kg以上の人が使うと壊れてしまう遊具がある」という理由で、特定の転校生の受け入れを拒んでいたり、転校したければ痩せろと命じている学校長がいたとしたら、その校長が間違った判断をしていることは明らかです。遊具・設備が壊れないようにするとか、転校生本人を含めて児童・生徒の安全を守るとか、そういった目的自体は正当かもしれませんが、だからといって「転校を諦めるか、体重を減らすか」という二者択一を転校生に強いるのは、手段として明らかに間違っています。そこで学校長がなすべきことは、転校生に事情を説明して遊具・施設の利用を控えてもらうとか、100kg以上の人でも使える設備に改修するといったことでしょう。転校を拒むとか、痩せるよう命じるとか、そんな「手段」は間違っていますし、人権侵害です。
 5号(外観)要件も同じです。「女性」へと戸籍を変えるニーズをもつトランスジェンダーの人がいたとして、社会生活のごくごく局所的な機会でしかない公衆浴場を取り上げて「陰茎があると混乱が起きる」と、戸籍変更を認めなかったり、あるいは陰茎の切断を命じるなんて、明らかに間違っています。特定の身体的特徴を持つ人には適さない遊具が1つだけ校庭にあるからと、転校生の受け入れを拒んだり、痩せるよう命令している校長と同じです。目的と手段が噛み合っておらず、人権侵害が起きています。
 以上で、問い(②)に対する吟味は終わりです。特例法制定時から、この5号要件を支える根拠としてはずっと公衆浴場のことだけが指摘され続けてきましたから、それが人権侵害(①)を許容・正当化するようなよほどの理由にはなりえないことが分かった以上、5号要件は憲法違反であるということになるでしょう。

4.最高裁の個別意見

 この記事の冒頭でも述べたように、まもなく広島高裁で5号要件について憲法判断が下ります。この裁判は、先ほど紹介した最高裁判決で積み残された「宿題」として、高裁に差し戻しになっているものです。すなわち、最高裁は4号については違憲判決を下したのですが、5号については「広島高裁できちんと考え直して」と、下級審にボールを投げ返したのです。
 しかし、そうした差し戻しにあたって、最高裁はいくつかの「お土産」を高裁に渡しています。そもそも、上記のように4号違憲を導く論理は5号に適用できますし、加えて最高裁判事のなかには「5号要件も違憲であることは明白なのだから、高裁に投げ返す必要はない」と、5号違憲の論理まで判決文で提供した人もいたからです。それは、昨年の4号違憲判決の「個別意見」として、公開されています。
 そこで示された個別意見は、まさしく先ほどの節で確認したようなものでした。例えば三浦裁判官は、公衆浴場のルールは事業者の措置によって決まっており、身体的な外観を基準としているのだから、5号要件がなくても、混乱が生じることは極めてまれであるとしています。同じように草野裁判官も、「公衆浴場で羞恥心・恐怖心・嫌悪感を抱かされないようにする」という目的は正当かもしれないが、5号要件という手段はそれに対して釣り合わないとしています。なぜなら、そもそもトランスの人の人口は極めて少なく、また浴場施設の管理者が利用規則を定めるだけで、言われている目的は達成されるからです。
 以上のように、これら最高裁判事は広島高裁が5号に違憲判断を下すための完璧なお膳立てをしています。個別意見も同じように図にしておきましょう。


5.外観要件はなくなります

 広島高裁の判決が近づいています。ほんとうにまもなくだと思います。高裁では5号の違憲性が審査されますが、この状況で、広島高裁が新たなロジックを立てて5号(外観)要件を合憲だと判断する可能性は極めて低いでしょう(――仮に広島高裁が合憲と判断しても、上告後の最高裁が合憲と判断する可能性は限りなく0です――)。現在、全国の家庭裁判所がこの高裁判決の行方を見守っていますが、高裁で5号(外観)要件に違憲判断が下れば、速やかにそれに従い、5号要件は申立人に適用されなくなると考えられます。
 これで、4号・5号がいずれも死文化し、いわゆる「手術要件」はなくなることになります。当事者の人のなかに、手術要件がなくなることへの不安を抱く人がいるのも確かです。そのなかには、「手術までしたのだから、もう女/男として法的にも(社会的にも)認めてください」と、周りの人間(や社会・国家)に頭を下げながら自分の生活を守ってきたという意識の人もいると思います。
 でも、あなたが手術要件によって守られてきたと感じるのと同じくらい、あるいはそれ以上に、手術要件は当事者たちに負担を課し続けてきました。法律が命じているからという理由で、したくもない手術を受けてきた人たち、いると思います(とくにFTM・トランス男性)。本当は自分の望むタイミングではないけれど、結婚や就職のためにどうしても戸籍を変える必要があり、借金をしてまで手術をしたという人、いると思います。社会的には性別を移行してしまったけれど、戸籍の登録だけがおかしく、そのせいで正社員として働く先が見つからず、結果としてSRSをするための貯金に時間がかかってしまったという人(――あるいはまだそのせいでSRSができない人――)、いると思います。法律が手術を命じているのだから、手術をした人間が「ホンモノ」なのだと、意味の分からないマウントを取られて傷ついてきた人、いると思います。手術要件がなければ開けていたはずの人生や、手術要件がなければ救われていたはずの人生が、たしかにあります。
 なにより、もう手術要件はなくなるのです。なくなるほかないのです。昨年の最高裁判決が出た時点で、手術要件が今後の日本社会で温存される道は断たれました。なくなるのです。なくならないで欲しいと願っても、要件撤廃に反対しても、もう無駄です。手術要件はなくなるのです。だったら、手術要件がなくなった後の社会で、これからの当事者たちが幸せに生きるための道を少しでも広げるのが、先に進んできた人間の務めではないでしょうか。