ゆと里スペース

いなくなってしまった仲間のことも思い出せるように。

NHK文化センター講座:報告(楽しかった)

 先週の土曜日(3日)、NHK文化センターの講座「トランスジェンダーフェミニズム」が開催された。わたしが訳した『トランスジェンダー問題』の刊行記念イベントの一環でありつつ、清水さんとこのテーマについて自由に話す機会となった。

 イベントは先週終わったばかりだが、1週間この日のことを何度も思い出した。とにかく、楽しかった。イベントのアーカイブ動画もすでに3回(3周)観た。信じられないくらい、わたしは楽しそうに話していた。そうだ、楽しかったのだ。

 この1年、いくつものイベントに招いていただく機会があり、いろいろな人といろいろな話をした。その全てが、わたしにとって大切な経験だし、願わくばその全てが、参加してくださった方にとって有意義な時間を提供できるものだったことを願っている。

 ただ、今回の清水さんとのイベントは少し趣が違った。ただただ、楽しかった。清水さんと直接話すのはこれが人生で2度目(?)で、それも1度目はわたしがイベントのお客さんとして軽く挨拶しただけだったので、直接会ってまともに話すのは初めてだった。それでも、楽しかった。とても。

 イベントの最初に、わたしは1960年代後半から1970年代初めにかけての、アメリカのラディカルフェミニズムの思考をいくらか紹介した。第二波フェミニズムにおけるラディカルフェミニズムの特徴づけを示した後、ラディカルフェミニズムの内部で「女性役割」との関わり方をめぐって生まれた、対立する二つの立場を特徴づけた。プロウーマンラインと、分離主義。そこから、分離主義系の人たちが目指していった「男性の利害から定義される『女性』ではない存在へと女性たちが自己を解放していく運動・実践・理論」として、なかでも分離主義傾向の強い一部のラディカルフェミニズムを「無性であることへの解放」として特徴づけた。

 男性と女性という2つの性別のクラスは、男性にとって常に都合よく役割が配置された性差の二分法に由来しており、それゆえ常に性差別的である。だとすれば、女性が「女性」でなくなること以外に、つまりは女性が「無性」になること以外に、女性が解放される道はないのではないか。

 異性愛は、つねに男性に利益をもたらす性差別的な制度である。そして、そうした搾取としての性関係は、何ほどか男女の役割を反映する女性同性愛にも侵入し得る。だとすれば、あらゆる意味で「性的でなくなること=Asexuality」こそが女性の解放なのではないか(Asexual Manifesto 1972)。

 以上が「無性であることへの解放」としてのラディカルフェミニズムの基本ラインである。(言うまでもないが全てのラディカルフェミニストがこのような思考回路を辿ったわけではない)

 こうした思考の道筋は、ノンバイナリー・フェミニズムAセクシュアルフェミニズムを現代に展開するための、重要な思考の資源を私たちに与えているはずだ。「性別なんてなければよかったのに」。わたしが下を向いてそのように呟いたとき、地面から反響してきたのはラディカルフェミニズムだった。現代のAceやNon-binaryたちが学べることが、ラディフェミの歴史にはきっと沢山眠っていると信じている。(もちろん、そうした思考の採掘に励むひとはすでに存在する。ただ、わたしの知る限り誰よりもその困難な採掘に励んでいたひとは、1年半前にこの世を去ってしまった。わたしは幸いなことに比較的近くでその作業を目撃していたが、1年半の月日が経ってやっと、あのひとがやりたかっただろうことが見えてきた。)

 そうしたラディカルフェミニズムの思考の道筋に対して、清水さんからは「フェムであること」をめぐる重要な反対論が提起された。その応答は、とても心躍るもので、またそれは、ある意味でトランス的(≒トランス肯定的)なものだった。

 こうして対談の内容を想起していると、キーボードを打つ手が止まらなくなる。本当は、わたしはここで対談の詳細を書くよりも、アーカイブ動画の広告をすべきなのだろう(https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1267261.html)。でも、本当に楽しかった。オンラインでも3500円くらいする対談だったにもかかわらず、トータルで100名をはるかに上回る参加者があった。値段的に「買ってください」とは言いがたいのだが、それでも、おそらくここ以外のどこでもできない話ができたと思う。

 対談のはじまりは、上記のようなラディカルフェミニズムと、それに対する応答だった。しかしそこから時代も下り、最後はずっと(現代的な意味での)トランスジェンダーフェミニズムの話、あるいはノンバイナリーの話をしていた。

 登壇者双方の個人的な情報にもかかわるので詳細は伏せるが、清水さんとわたしがそれぞれ経験してきた「性別という制度との格闘」は、まったく違うものであると同時に、それぞれまったく違った仕方で、フェミニズムの歴史的資源に救われてきた。そのことが分かった。

 そして、これが大事なことなのだが、そうして全然ちがった仕方でフェミニズムと付き合ってきた私たちは、それでも互いの話を理解し、――この表現が誤解されないことを願うが――互いの経験を「面白がる」ことができた。ここで「面白がる」とは、「性別という制度」と交渉するそれぞれの経験を、互いに実感をもって同感することはできないとしても、互いに理解し、なるほどそうなるのねと、自分にない経験にそれでも共感することを指す。

 清水さんも、楽しかったらしい。わたしも楽しかった。そして、清水さんは言っていた。フェミニズムは、本当はこういう楽しさを与えてくれるものでもあるはずだと。フェミニストであることが常に楽しいことであるとは、誰も思っていない。現実はむしろ全く逆だろう(フェミニスト・キルジョイ)。しかしフェミニズムの歴史は、私たちの少しずつ異なる経験を語り、互いに理解し、性別という制度を多角的に捉え、それに楔を入れるためのキーポイントを一緒に探すことを助けてくれるものであるはずだ。その作業は、ほんとうは実に「楽しい」。

 トランス排除的なフェミニズムSNSで跋扈し始めてから、フェミニズムがどんどんつまらなくなっている。この社会に「女性」と「男性」がいるとき、その「女性」とはすなわち「XX染色体を持つ人という意味だ」なんて、そんなくだらない主張に賛同するのがフェミニズムだったことなんて(一部の極まった文化派フェミニズム以外に)あるはずがない。ましてやラディカルフェミニズムの歴史が教えるのは、生物学や精神分析学の大層な名前を借りて「女性」を定義する既存の知の体系それ自身が家父長制の手先だったということだ。「ジェンダーとは性差に関する知の総体である」と言われたら、ポスト構造主義的な視座を見てとりそうになるけれど、わたしはラディカルフェミニズム運動とその理論は、1960年代からずっと、その視点を持ち続けていたと思っている。(この講座の最後に、わたしはなぜか興奮気味に江原由美子さんを推していたが、江原さんの仕事を読んできた人なら、わたしの言いたいことはだいたい伝わると思う。)

 本当に、楽しい講座だったし、こういう楽しい話を、もっとふつうにできる世界にしたいと思う。シスとトランスの間にあまりにも高い壁が築き上げられているせいで、あまりにも多くの語りが喪失されているということを、清水さんとも話していた。失われているものを探すのは難しい。なぜなら、失われているという事実自体が、隠されてしまっているから。でも、少なくともこの日の対談では、なにかが失われているという事実を暴くことができた。

 もちろん、わたしの言葉は偏っている。だから、わたしには聞こえない言葉や、わたしの視野からは外れる言葉が、無数にある。訳書にせよ、なんにせよ、わたしの言葉が届くひとは極めて限られている。それでも、わたしはわたしのできるところから、性別という制度が消し去ってしまった語りを少しでも掘り出していきたいと思う。