ゆと里スペース

いなくなってしまった仲間のことも思い出せるように。

2024年の振り返り

  2024年が終わろうとしている。去年一昨年も(適当だけれど)振り返りの記事を書いたので、今年も書くことにする。

 まずは出版。今年は3冊の書籍を出すことができた。1冊目は『トランスジェンダーと性別変更』(岩波書店)で、性同一性障害特例法についての入門書。4名のプロフェッショナルの方に寄稿を依頼して、わたしは編者として全体の調整と、冒頭と末尾の短い文章を執筆した。類書のない、意義の大きな書籍を出せたと思う。
 2冊目は『トランスジェンダーQ&A:素朴な疑問が浮かんだら』(青弓社)。こちらは『トランスジェンダー入門』(2023年)でもコンビを組んだ周司あきらさんとの共著。前著『入門』では、トイレとかお風呂とか、トランスへの敵意を煽るためだけに動員される話題については触れず、大事なことだけを書いたのだけれど、そういうヘイト言説に対してどのように向き合うべきか、どんな風にほんとは考えるべきなのか、ということも書籍として整理した方がいいなということになり、書いた。実際、対面で会う多くの人に感謝された。組織内でLGBTに関して研修など担当する人に役立ててもらえたようで、書いてよかった1冊。こんな感じで、世情に合わせて書いた著作だけれど、個人的には内容もかなり気に入っている。トランスジェンダーについては「性自認の特殊さ」がマイノリティであるという、よく分からない理解のされかたをしがちで、「この人たちの性自認をどう扱うか」という問題枠組みを勝手に設定されることが多いのだけれど、実際にはそんな枠組みから考え始めてもあまりも資するところがないと思っている。詳しくは『Q&A』を読んで欲しい。ちなみに、この本の表紙にはMiyabi Starrさんの作品を使わせていただくことができた。トランスの本をトランスの人と一緒に作ることができた。(表紙の作品は、勝手に周囲から性別を押し付けられるトランスのユースの戸惑いと失望を描いたものと解釈しています※わたしの解釈です)。
 3冊目は『じぶんであるっていいかんじ:きみとジェンダーについての本』(テレサ・ソーン作:ノア・グリニ絵)。エトセトラブックスから絵本を翻訳した。まさかわたしが絵本の翻訳を?という感じだったが、原著を見て一目ぼれしてしまい、引き受けた。4歳くらいからよめる絵本にするために、表現や訳語に悩んだ。「Be Yourself」を「じぶんらしくある」ではなく「じぶんである」と訳すことができたのは、エトセトラブックスの松尾さんと思いが一致したから。エトセトラブックスと仕事ができたのも、2024年の大切な思い出だ。ずっとお客さんとして通うだけだったエトセトラブックス。一昨年あたりからすこしずつ距離が縮まって、ついに本が出せた。数年以内にトランスジェンダーフェミニズムの書籍も出版したい。
 残念ながら、今年も博論は書籍化できなかった。ずっと時間がない。ずっと引っかかっていて、ずっと自尊心を削られる理由になっている。はやく出版したい。ちなみに、来年は翻訳2冊(いずれも共訳)と教科書2冊(いずれも共著)が刊行される予定。博論も出さないと…。トランスジェンダー関係でも、来年中にあと1冊書くかも。数年後には、トランスジェンダー理論の単著を出す予定。

 出版の話が続いてしまったけれど、今年は「書く」よりも圧倒的に「話す」仕事が多かった。おのおの性質は違うけれど、だいたい50件くらい講演や研修の仕事をした。自分でも意味がわからないと思う。どうやって生活していたのか、思い出せない。ただただ、呼ばれたところでできるかぎりの務めを果たそうとした。つねに講演の準備に追われ、毎日深夜まで資料をつくり、1日中メールを書いていた。とはいえ、1つ1つの仕事にきちんと思い出があるし、断ればよかったと思うような仕事は、1つもなかった。それぞれの自治体や会社・組織で、担当者の方が頑張って企画を作ってくれて、予算を確保してくれて、わたしに声をかけてくれた。参加してくださった方たちに少しでも得るものがあればいいなと思って、いろんな人たちに向けていろんな話や話し方をした。
 ちなみに、今年もいくつか群馬の仕事もできた。それはよかった。群馬県で初めてのレインボープライド(前橋)が開催されて、トークショーに登壇した。玉村町渋川市でも講演をして、来年は前橋市からもいくつか仕事をいただいている。あまり地元に貢献できてないので、たまに呼ばれるとうれしい。

 トランスジェンダー関連で、いくつかメディアにも出た。TBSラジオにはたぶん3回出た。東京レインボープライドに合わせてNHKラジオにも出た。同じ5月に出演した朝日新聞ポッドキャストは、長時間にわたって大事な話をいくつもすることができた。かなり気に入っている。6月だけで毎日新聞に3回登場する偶然もあった。ひとつは「女性スペース」をめぐる差別言説にかんする閣議決定についての記事、ひとつは出版物関係の取材、もうひとつ関西学院大学での講演の報道だ。すべて別々の記者さんで、地域も背景もばらばらだった。あとメディア関係だと、ananの「セックス特集号」でトランスジェンダーについてのインタビュー紙面を作ることができた。これも思い出深い。時代は少しずつ前に進んでいる。

 社会運動(活動)として1番の大きな経験は、ジュネーブ国連に行ったこと。今年は女性差別撤廃条約の日本審査にあたり、わたしは自分がアドバイザーを務める「Tネット」(トランスジェンダーの当事者団体)と一緒に「SRHR市民社会グループ」に加わり、国連から指名された女性差別撤廃員会に提出するレポートを書いたり、記者会見をやったり、実際にジュネーブまで行ってアドボカシーをしたりすることができた。このチームに加えてもらえて、日本の女性・マイノリティのSRHRのために活動するアクティビストたちと多くの時間を共有することができて、ほんとうに大きく成長した。ここ数年のわたしの働きを見てくださっている人たちがいる、ということも励みになった。ジュネーブで目の当たりにした、人権を守るために知恵を振り絞って国々を動かそうとする委員たちの姿勢。いっさいの誇張抜きに胸が熱くなった。来年はそういう「胸アツ」な機会を日本で作れるように、今度はわたしが頑張りたい。

 研究に関しては、研究倫理分野で大きな進展があった。今年は学会発表2つ(+研究会報告複数)程度と、アウトプットが控えめだったけれど、来年は研究倫理関係でがりがりアウトプットが出る予定。それ以外では、日本倫理学会の主題別討議(学会が設置するシンポジウム)で「フェミニスト倫理学」を関するシンポの責任者(兼発表者)を務めた。学会の委員会からこのテーマで委嘱され、明らかに力不足だとは思いつつ、自分が最善だと思うパネリストとともにシンポを成立させることができた。とくに、同志社大学の岡野八代さんをお招きできたのは倫理学会として大きな刺激になったと思う。
 ちなみに、いまは日本哲学会と日本倫理学会の評議員、日本現象学会の「委員」を務めている。正直、ここ数年はこれら哲学系の学界でのわたしのプレゼンスは高くないはずだが、おそらくは学会・学術活動以外のところで露出が多いせいで、いずれも会員からの投票を集めてしまっているのだと思う。あまりよいことではない。

 去年も一昨年も「1年の振り返り」では体調がぼろぼろな感じだったのだが、今年は4月に救急車で運ばれてしまった。とあるオンラインの研究会の最中に、とつぜんあごの筋肉が麻痺してしまい、ろれつが回らなくなり、発声もできないし、水も飲めなくなった。それ以前から、階段を上り下りするのもやっとという感じで、気を抜いたら失神しそうな状況でふらふら生きていたけれど、急にろれつが回らなくなったのは焦った。いろいろと検討した結果、親しい人に救急車を呼んでもらった。結果、脳に異常はなし。原因はわからないが、おそらくストレス。ちなみに救急隊員は、救急時にもかかわらず、わたしが念のため伝達した説明事項を的確に理解し、受け入れ先となる病院に対しても正確に伝達しようとしてくれた。受け入れ先の病院でも、とくに問題なく検査のプロセスを経ることができた。自分が急患で運ばれたにもかかわらず、ここでも時代の前進を感じた。
 そんなこともあって、いろいろ身体について考えざるを得なくなった。1年くらいとくにひどくなっている立ち眩みや、軽度の失神など、不調の原因を医学的に特定することはできなかったけれど、状態としては低血圧と頻脈であることが分かった。ただ、頻脈のせいで、血圧をあげるための薬を飲むことができず、不調を薬剤で改善するのは難しそうだった。代わりに医師から提案されたのは「運動すること」で、今年の後半はだから週2回ほどスポーツジムに通う時間を強引にねん出した。ジムに通う時間がもったいない気もしたが、運動をしないことで発生する損失を考えて、まじめに通った。結果として、腹筋がかなりついた。ただ、年間通して体重は減少し続けていて、去年より2kgくらい減った。来年はもっと太りたい。

 順番がめちゃくちゃになってしまったけれど、12月13日に「私のからだデモ」を東京駅前で開催した。トランプ当選後に勢いづくマノスフィア、総選挙で議席を獲得した日本保守党の代表のおぞましい発言(※これも毎日新聞の取材受けた)などあり、11月に「私のからだは私のもの、お前のじゃない」という緊急オンライントークを開催した。たった3日間の告知で540名以上の申し込みをいただいて、すごい関心の高さだった。そのままのメンツで、街頭でのデモを企画した。この「私のからだデモ」は、全国にも波及し、SNS上でもたくさんのアートワークなどが展開された。わたしは呼びかけ人の1人に過ぎないけれど、このデモを作ることができて本当によかったし、わたし自身励まされた。
 ここ数年、ずっとトランスジェンダーのことばかりやってきた。本を訳したり、書いたり、講演をしたり、クローズの場所で勉強会をしたり、組織や学会の相談に乗ったり、個人的に困りごとの解決をサポートしたり、ずっとトランスジェンダーのことばかりやってきた。今年は、その活動の幅をすこしだけ広げることができた。女性差別撤廃員会にあわせて、いろんなフェミニスト団体・SRHRの活動組織と繋がることができたし、「私のからだデモ」でも、移民女性の健康・権利やセックスワーカーの健康・権利のために活動するひとと一緒に場所を作ることができた。来年からは、こうしたウィングの広いつながりをもっと活動に生かすことができたらと思っている。これはしばしば指摘されることだけれど、右派・保守派のひとたちは、反フェミニズムだろうが反LGBTだろうが反ワクチンだろうが白人至上主義だろうが反気候変動だろうが、とにかく「タッチングポイント」と見つけてエネルギーを結集させるのがうまい。それに対して、そうした巨大なエネルギーに対抗しなければならない運動は、大抵はばらばらだ。それではまずいとみんなが思っている。思うだけでなく、行動したい。急ぎ過ぎず、慎重になりすぎず、コストがかかるとしても、行動に移していきたい。
 それとも関連して、Twitter(X)をほぼ完全にみなくなった。たまにイベントの告知に使うくらいで、タイムラインも通知も見ていない。Twitterを離れて、やはりあそこは時間の流れが異常だと思う。放っておけばいい小さな「違い」や、すこし時間がかかるとしても埋まっていたはずの「違い」が、ものすごい勢いで拡張・拡大されていく。なりすましアカウントが出現する可能性があるのでアカウントは削除できないのだけれど、やめてみて改めて異常さに気が付くことも多い。そもそも差別は社会構造の問題なのに、「差別をしてはいけない」という個人道徳や個人の倫理をベースに誰か個人の言動を評価し、変えさせようとする人が多すぎる。そして、ほぼ全てのケースにおいてその試みは失敗して悪い結果に終わっている。トランプも返り咲くことになり、今年はますますTwitterが嫌いになった。

 最後に、ふたたび個人的なこと。今年はっきりはかったのは、もう「やめなければならない」ということ。去年(2023年)の振り返りの記事で、わたしは一昨年(2022年)の自分の振り返りを引用しながら次のように書いていた。

この「限界」が、はっきり見えた1年だった。脳みその回転量を上げても、もう補いきれない。朝起きた瞬間から夜寝る瞬間まで働き続けた1年だった。フルで休んだ日は年間通して5日もないとおもう。精神よりも先に肉体の方が限界に近付いてしまった。

ずっと限界にいる。限界のままで走り続けている。もうやめなければならない。大学の仕事と、自分の研究と、社会運動(活動)の3つを、いまのようなコミットメントのまま保つことは不可能だ。高額療養費制度のおかげでなんとか持病のコンディションをキープできているからよいものの、身体もずっとぼろぼろだ。もうやめなければならない。どれも諦めずに、続けたかったけれど、わたしは超人でも天才でもなかった。
 だから来年(2025年)の目標は「やめること」。なにをやめるのかは、これから丁寧に考えたいけれど、大なり小なりなにかをやめなければならないことだけは確か。仕事でかかわる多くの人から「休んでくださいね」と言われるが、わたしが自分から「やめる」をしない限り、周りの人がわたしの仕事を減らしてくれることはない。やめなければならないし、やめたい。でも、ただやめたいわけじゃない。したいこともたくさんある。ほんとうにしたいことをしたい。いっぱいある。したいこと、したい研究、読みたい本や、書きたい文章、無限にある。
 去年の振り返り記事のわたしは、つらそうだったし、死にそうだった。

得たものは多かった。失ったものも、多かった。そういう1年だった。年末年始は、すこし休ませてもらう。わたしは来年の振り返りを書くことができるのだろうか。

 今年、無事にわたしは振り返り記事を書くことができている(4月は救急車に乗っていたが)。ただ、来年はもう、こういう辛い文章を書きたくない。感動したことや、嬉しかったことをもっと書きたい。仕事に追われて苦しい毎日のことじゃなく、達成できてよかったことや、今よりも健康になった身体のことについて書きたい。
 2021年くらいから、2024年末日の今日まで。ずっとひとりでまっすぐ同じ道を走ってきた。このまま走りつづけるのは、もうやめだ。いろんな道と交差したり、誰かと一緒に道をもっと拡張したり、したい。道をつないでいって、広場もつくりたい。よかった。来年が楽しみになってきた。