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いなくなってしまった仲間のことも思い出せるように。

『トランスジェンダー入門』内容紹介

 再来週7月14日、新書『トランスジェンダー入門』が発売されます(集英社より)。周司あきらさんとの共著です。周司さんにとっては『トランス男性による トランスジェンダー男性学』(大月書店2021年)、『埋没した世界 トランスジェンダーふたりの往復書簡』(明石書店2023年)につづき3冊目の著作になるはずです。どちらも非常に素晴らしい書籍ですので、『トランスジェンダー入門』に関心のある方は、あわせてお読みください。

 

『トランスジェンダー入門』表紙。帯には「最初に知ってほしいこと」と大きく書かれている。

トランスジェンダー入門』表紙

 この記事では、『トランスジェンダー入門』のざっとした内容紹介をしたいと思います。まだこの本を買うかどうか決めていない、果たして(税込み)1056円払って読む価値があるのかと、悩んでいる方がいたら参考にして下さい。

 はじめに本書の目次を挙げておきます。

第1章 トランスジェンダーとは?

第2章 性別移行

第3章 差別

第4章 法律

第5章 医療

第6章 フェミニズム男性学

 これから、ごく簡単に『トランスジェンダー入門』でどんなことを書いたのか、紹介していきます。

 

第1章 トランスジェンダーとは?

 この章では、「トランスジェンダー」とはそもそもどういった人たちを指す言葉なのかについて、簡単な理解を読者の皆さんに得てもらうことを目指しました。
 トランスジェンダーについては、「生まれたときに割り当てられた性別とジェンダーアイデンティティが食い違っている人たち」といった定義が与えられることがありますが、これだけ聞かされても、いまいちピンとこないという人が多いと思います。そこで本章では、「性別を割り当てる/割り振る」とはどのようなことか、そして「ジェンダーアイデンティティ」とはなにか、といった問いについても、もう一段踏み込んだ説明を試みました。もし、これまでそうした問いに少しでも悩んだことがある方がいたら、参考にしていただけるかなと思っています。
 それと同時に、この章では「身体の性」と「心の性」といった言葉がなぜ昨今使われなくなっているのか、そして、なぜそれらの言葉を使うべきではないのか、といったことも説明しています。これらの言葉が使われなくなったのは、それらが単に「正しくないから」ではありません。それらの言葉によっては、トランスの人たちの生きている現実を捉え損なってしまうから、それらの言葉は使われなくなっているのです。
 また、同じ第1章では「性別をめぐる2つの課題」を用いて、トランスジェンダーという存在を説明することも試みています。例えばトランス男性について、「男っぽい女の人」や「男らしさが好きな女の人」、あるいは「女らしさが嫌だった(女の)人」といった理解を持っている人はいませんか?それらの理解は、なぜ、どのような意味で的はずれであるのか。その答えを、私たちなりにシンプルに与えたつもりです。ぜひ読んでみてください。

第2章 性別移行

 この章では、トランスの人たちが経験することのある「性別移行(トランジション)」を3つの角度から説明しています。
 1つ目は「精神的な(性別)移行」です。これは、言ってみれば自分自身を「トランスジェンダーとして」発見したり、自分がトランスジェンダーであることを受け入れたりするプロセスを指します。私たちの社会では、出生時に子どもに性別を割り振り、その性別通りに死ぬまで生きていくことが前提とされています。そのため、トランスの当事者の人たちですら、自分がトランスジェンダーであることを理解し、受け入れるのは簡単ではありません。なかには物心ついたときから、周囲に自分のトランスとしてのアイデンティティを申告・主張できる子どももいますが、とはいえいずれにせよ、「自分はあなたたちが扱う性別の人間ではない」という自己理解や、気づきを、その子どもはどこかの時点で得たわけですから、「トランスジェンダーとして」の自己を発見する「精神的な(性別)移行」のプロセスは、そうした子にとっても無縁ではありません。そして、やはり周囲から与えられる情報の乏しさや、家庭環境が理由で、自分自身をトランスジェンダーとして自覚的に理解するまでに時間のかかる人もいます。むしろ、たいていのトランスの人たちは、社会が期待する通りに、シスジェンダーとして(無理やり)生きようとします。必死に、そうします。しかし最後の最後に、自分がシスではないという事実から目を背けることができなくなり、トランスジェンダーとしての自己を認めるようになります。精神的な(性別)移行です。
 2つ目は社会的な性別移行です。トランスジェンダーの人たちは、世の中ではしばしば「心の性」を周囲に認めさせようとする存在として語られがちです。しかし、自身のジェンダーアイデンティティを否定しながら生きることをやめ、いざ、現実に性別を移行するというのは、そのように「心」を認めさせるプロセスとは実のところ全く別のプロセスです。トランスの人たちは、社会生活の中で絶えず問われ続ける「男なのか?女なのか?」の問いに対して提示する答え、提示できる応えを、それぞれの「場」ごとに、オセロの盤面を1枚ずつ裏返していくように、地道に変えていくのです。この、「場」についての思想を手に入れることができれば、トランスジェンダーが試みる「性別移行」というものがどのような経験なのか、すこしイメージが膨らむと思います。
 3つ目は医学的な性別移行です。これについては、ここで敢えて特筆すべきことはありません。より男性的な身体へ、あるいはより女性的な存在へ、それぞれの方向への身体治療にはどのようなものがあり(オペ、ホルモン、etc.)、どのような変化があるのか、ざっとした知識を得ることができます。それと同時に、ノンバイナリーたちと「医学的な性別移行」の関係についても、少しだけ触れています。

第3章 差別

 この章では、現在の社会においてトランスジェンダーの人たちがどのように集団として抑圧された状況にあるのか、多様なデータを用いて明らかにしています。はっきり言って、読むのは辛いと思います。もちろん、トランスの人たちにはそれぞれ違った人生があり、みんなそれぞれ違った環境を生きています。しかし、いざ統計的な調査をしてみると、トランスの人たちが置かれている状況は、シスの人たちに比べて非常に過酷であることが分かります。
 トランスの人たちは、シスの人たちよりもどれくらい貧困に陥りやすいでしょうか。失業率はシスの何倍でしょうか。どれくらいのトランスの子どもが、学校でいじめに遭っているでしょうか。何割くらいの人に自殺未遂の経験があるでしょうか。就職活動で差別やハラスメントを経験している人はどれくらいいるでしょうか。
 この社会は、シスジェンダーの人たちを前提にできています。トランスジェンダーの人たちは、その社会の「異物」として、人生のあらゆる文脈で排除を経験する危険性にさらされています。もし、「トランス差別」について考えたいのなら、SNS上の酷い差別発言だけでなく、こうしたデータにもぜひ眼を向けて欲しいと思います。
 それと同時に、この第3章では、学校教育や就労現場がどのような意味でトランスの人たちにとって排除的に機能しているのか、その実態についても簡単に論じています。ぜひ、ご自分の周りの環境を変える際の参考にして下さい。
 ただ、第3章を書くなかで強く感じたのは、日本国内のデータが圧倒的に不足しているということです。最近やっと「LGBT」についての、ある程度まとまった人口調査が出てきましたが、トランスの人たちはそのなかでも圧倒的に数が少なく、有意味なデータは限られています。そのため第3章では、EUや米国、英国、オーストラリアのデータも数多く引用しました。トランスの人たちにフォーカスを当てた人口調査が、日本でももっと行われるように、適切なリソースが社会に与えられていくことを強く望みます。

第4章 医療と健康

 この章では、トランスの人たちの健康と医療について3つの角度から扱っています。第一には、いわゆる「トランス医療」をとりまく制度的状況を議論しました。現在日本には「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」が存在しています。新書では、このガイドラインがどのような背景から生まれたのか、そしてそれが策定されたことにはどのような良いことと、悪いことがあったのか、それぞれ論じています。
 この章では第二に、トランスの人たちが医療機関でどのような困りごとを抱え、それがどのようにトランスの人たちの健康を増悪させる要因となっているのかについても論じています。保険証の性別欄が重みをもつとともに、知らない他者たちの視線に晒されることもある病院という場所、そして無理解や偏見を備えているかもしれない医師や看護師の存在は、(差別を背景とした経済苦に加えて、)トランスの人たちが医療へとアクセスする際の妨げとなっています。加えて本章では、トランスの人たちが困難を経験しがちな入院病棟での扱いについても、病院側にどのような考慮が求められるか書きました。医療関係者の方は、ぜひお読みください。
 第三に、トランスの人たちの医療・健康についての情報が不足しているという構造的な問題についても扱いました。トランスジェンダーの人のなかには、医学的な措置を経験している人が多くおり、そうした人に対しては、どのような健康上の介入が安全・有効であるのか、研究データも臨床データも現在のところまったく不足しています。これは、社会的に改善されるべき公衆衛生上の課題です。

第5章 法律

 この章では、トランスの人たちにとって切実な問題となる3つの法律について論じています。具体的には、性同一性障害者の性別の扱いの特例に関する法律、同性婚の法制化、差別禁止法の三法です。
 後者二つについては、説明の必要が無いと思います。差別禁止法が必要なのは言うまでもなく、同性婚が法制化されれば、結婚を望んでいるトランスの人たちが婚姻のためだけに戸籍の性別を変更する(そしてそのために内性器を摘出する)、といった著しい不便がなくなります。
 問題は特例法です。特例法は、トランスの人たちの性別を公的に再登録するための性別承認法ですが、性別表記の訂正のために課している5条件(性同一性障害の診断も数え入れれば6条件)は人権侵害甚だしく、大きな問題を抱えています。新書の中では、それら5条件がどのようにトランスの人たちの現実から乖離し、またどのような意味で人権侵害であるかを論じています。特例法については、「ないよりもある方がまし」という共通認識のまま、その内容について疑問を持ってはならないという雰囲気が日本のトランスコミュニティには存在してきたと思います。しかし、現在の特例法は世界的にも明らかに異様です。わたしはその状況は一刻も早く変わるべきだと思っています。詳しくは第5章をお読みください。この章ではまた、性別表記の訂正にまつわる「よくある疑問」にも、部分的に回答しています。特例法の不妊化要件の話が出るだけで「女湯にペニスを付けた人が~」などと反射的に考えてしまう人がいるなら、眼を皿のようにして本章を読んでください。そして、身近な人がそうしたことを口にするようになって辟易しているという人にも、参考にしていただけると思っています。

第6章 フェミニズム男性学

 この章では、フェミニズム男性学・ノンバイナリーの政治という、ジェンダーをめぐる三種の解放運動・理論が、トランスジェンダーの解放とどのように繋がっているのか、あるいは不可分であるのかを論じました。その内容については、実際に読者の皆さんに確かめていただくしかないと思います。
 とはいえ、SNSでトランス差別的な言説に暴露されてきただろう人たちが期待しているような「問題」を、おそらくこの章では取り上げていません。私たちがこの章で論じたかったのは、トランス差別者たちが無理やり作り上げた「問題」ではなく、トランスの人たちが差別のくびきから解放されるために必要な社会変革と、ジェンダーをめぐってフェミニズム男性学が積み重ねてきた政治(ポリティクス)とが、互いに支え合い、必要としあっているという、その積極的な現実です。
 フェミニズムトランスジェンダーの存在が不和を起こすなど、歴史的に考えてもあるはずがなく、もしそのような認識を持っているなら、その人はフェミニズムの主体とは誰か、そしてトランスジェンダーとはどのような人たちなのかについて、根本的な誤解をしていると思います。『トランスジェンダー入門』の著者として、わたしは本書がそうした非現実的な認識枠組みに親近感を感じてしまう人たちにとっての助けになって欲しいと思っています。

終わりに

 以上で『トランスジェンダー入門』の内容紹介は終わりです。発売日まであと10日ほどとなりました。やっとこの本を皆さんに届けられること、嬉しく思います。

 やっと、この本が世の中に出る。「その話は『トランスジェンダー入門』に書かれているので、関心があるなら読んでみてください」と、やっと言える。

 私たちはもう、疲れたのです。お願いです。新書ですから、入門書ですから、どうかみなさん手に取ってみてください。
 帯の言葉には「最初に知ってほしいこと」とあります。そうです、最初に知って欲しいのです。どうか、よろしくお願いします。

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