ゆと里スペース

いなくなってしまった仲間のことも思い出せるように。

東京都現代美術館:ショーン・フェイさんとのトーク(終わりました)

 先日8日、東京都現代美術館で開催中の「ウェンデリン・ファン・オルデンボルフーー柔らかな舞台」展の企画の一環として、『トランスジェンダー問題』に関連したイベントがあり、参加してきた。NEON Book Clubさんがイベントの主催で、いつものブッククラブのような読書会に加えて、『トランスジェンダー問題』著者のショーン・フェイさん、訳者のわたし、そしてNEONのメンバーの方たちでのトークがあった。わたしは、読書会にもこっそり参加させていただき、それからトークで登壇した。

 結論からいうと、もっと長く話していたかった。読書会の方は、8人~10人ずつくらいの輪になって、『トランスジェンダー問題』を読んで考えたことなどを中心に、皆さんのいろいろな感想や関心が聞けた。もっともっと聞きたかった。わたしは訳者だからめちゃくちゃこの本を読んでいるけれど、どんな風に皆さんに読まれているのか、もっと知りたい。

 トークの方も、あっという間に終わってしまった。実は著者のショーン・フェイさんと話すのはこれが初めてだったので、もっといろいろ聞きたかったな。日本とUKの状況について、似ているところもあれば違うところもある。トランスの法的性別表記の変更のための法律(性別承認法)について言えば、UKは世界で最初に(2004年)不妊化要件を外した国である一方、日本の特例法は世界的には信じられないくらい遅れている。包括的差別禁止法に該当する平等法がUKにはあって、差別からの保護対象属性としてトランスであることもちゃんと含まれている。日本には、そうした差別禁止法が存在しない。

 対して、UKと日本のフェミニズムの状況はよく似ていて、女性学のメインストリームに位置する人たちがトランス差別的な論理への耐性を著しく欠いている。『トランスジェンダー問題』の分析に従うならば、帝国主義に対する反省も不十分なまま、「普遍的な女性の経験」を信じるフェミニズムが日本にもUKにもはびこっている。人種的・民族的マジョリティの異性愛の健常なシス女性の経験を中心化し、人種差別や健常主義などの力学が性差別とどのように関わり合っているのかという、差別の交差性に対する感度が極端に低いフェミニストが残念ながら(少なくともアカデミアでは)不必要に力を振るっている。わたしはこの人たちがいろいろなところで今やっているハラスメンシャルな行為を絶対に忘れない。

 吹き荒れるトランスバッシングの荒波と、コロナのパンデミックが共に生活を覆うなかで『トランスジェンダー問題』を執筆したフェイさんの話も、もっと聞きたかった。わたしの翻訳は孤独な作業ではなかったし、執筆のたいへんさには比べようもなかったけれど、わたしにも思うところはもちろんあった。

 もちろん、トークのなかでも貴重な話が聞けた。悲観的な気持ちのなか執筆を進めたけれども、本を書き終えて、多くの人に読まれ、いろいろな場所に呼ばれて話したりすることで、フェイさんは少しだけ世界に楽観的に・前向きになったそうだ。わたしも、翻訳した『トランスジェンダー問題』が書店員さんたちからの応援を受け、多種多様な媒体で書評が書かれているのを見るにつれ、小さな希望が少しだけ大きくなっていくのを感じた。まだまだ、これからだ。

 今後どこかの媒体で、フェイさんとの対談とか、したい。英国での『トランスジェンダー問題』の受容のされかた、左翼からの反応やトランスコミュニティからの反応など、もっともっと聞いてみたいことがある。これを読んでいるどこかの媒体のみなさん、よろしくお願いしますm(__)m

 それと同時に、今回のとくに読書会を通じて、わたしは『トランスジェンダー問題』がどんな風に読まれているのか、もっと知りたいと改めて感じた。今回わたしが『トランスジェンダー問題』の翻訳の機会を得たことには、それなりの必然性もあったかもしれない。しかしわたしは、というかだからこそわたしは、この本がどんな風に読まれるのか、読まれているのか、あまり知らない。本との距離が近すぎる。

 この数か月、わたしは前に出てたくさんしゃべったと思う。もちろん、今後もイベントの予定がいくつもあるし、仕事はきちんとする。というよりも、イベントで話すのはいつもとても楽しい。ただ、わたしが楽しかろうと、そしてお客さんがどれだけ来ようと、いつまでもわたしが色んなところに呼ばれて出ていって、『トランスジェンダー問題』について話したり、あるいは日本のトランスの状況について話しているのは、少しさみしくなってきた。ときどき、孤独を感じる。

 『トランスジェンダー問題』関連の仕事は、なるべく受けている。この本には売れてもらいたいし、実際にめちゃくちゃ良い本なので、少しでも多くの人のもとに届いて欲しい。それと同時に、日本の人たちがこの本をどんな風に受け止めているのか、もっと知りたい。わたしは、この本の訳者としてではなく、この本のいち読者として、この本についての話が聞きたいし、この本について話したかった。

 『トランスジェンダー問題』の翻訳者になったことの最大のデメリットは、この本の「いち読者」であることを許されなかったことにあると思う。わたしはこの数か月、この本の「宣伝隊長」として、つうじょう訳者に期待されない範囲の仕事すらしゃかりきに果たしてきたと自分では思っている。そうこうしているうちに、わたしは「いち読者」としてこの本と関わることができなくなってしまった。

 今回、著者のショーン・フェイさんとのトークの機会をいただけたことは、ほんとうにありがたいことだった。間違いなく、訳者だからこその特権だ。主催のNEON Book Clubの皆さんと、東京都現代美術館のキュレーターの方々、そして当日の会場で日英通訳と手話通訳を担ってくださった皆さんには、深く感謝を申し上げたい。ただ、ちょっとだけさみしかったかもしれない。訳者の肩書きのない状態で読書会に参加できなかったこと、Zoom画面のフェイさんの話を客席から聞けなかったこと、わたしではない誰かが『トランスジェンダー問題』やその内容についてフェイさんと話しているのを聞けなかったこと。

 なんだかよく分からない感想になってしまった。ともかく、人生で忘れられない一日になったことは確かだ。当日会場で話しかけてくださった皆さんも、ありがとうございました。色々な方と話すことができて、希望をもらうことができました。イベント後におしゃべり会をしたフェミニストの友だちたちからも、たくさんパワーをもらった。

 今年もがんばる。