トランス差別の現状(3)アメリカにおける犯罪被害
トランスジェンダーの人びとが集団として置かれている状況を理解するために、色々なデータを紹介しています。「トランス差別」は、誰かに酷いことを言うとか、そういった狭い範囲の現象として理解できるものではないからです。
最初に紹介したのは、英国学校調査の概要でした。
次に、全米大規模調査(2015)の概要を紹介しました。
今日は、前回と同じくアメリカの調査に基づいていますが、トランスジェンダーの人びとが犯罪被害(Criminal Victimization)に遭う確率についてのデータを紹介します。
1.報告書について
これから紹介するデータは、以下の調査報告に依拠しています。というよりは、この報告書の抄訳(実質的には全訳)だと思ってください。
*“Gender Identity Disparities in Criminal Victimization: National Crime Victimization Survey, 2017–2018” , in the American Journal of Public Health
co-authored by Andrew R. Flores, Ph.D., Ilan Meyer, Ph.D., and Lynn L. Langton, Ph.D., and Jody L. Herman, Ph.D. ※ここから読めます。
2.結果
忙しい人もいると思うので、主たる結果のみ最初に記載します。
・トランスジェンダーの人びとは、1000人あたり86.2人が暴力被害に遭っていましたが、その割合は、シスジェンダーの人びとでは1000人あたり21.7人でした。
・トランスジェンダーの人が1人でも暮らしている世帯では、1000世帯あたり214.1世帯が財産・所有物に関する被害(窃盗、器物損壊など)に遭っていましたが、これはシスジェンダーの人しかいない世帯の被害の確率(1000世帯あたり108世帯)よりも高いものでした。
・自身の受けた被害をヘイトクライムとして受け止めている人の割合は、シスジェンダーの人に比べて、トランスジェンダーの人びとの方が高いことが分かりました。
・警察や当局に被害を通報した人の割合は、トランスとシスでそれほど差異はありませんでした。どちらも、半分くらいの犯罪被害は通報されていません。
まとめると、トランスの人びとはシスの人びとよりもかなり暴力被害に遭いやすく、財産・所有物に対する被害にも遭いやすいことが分かります。また、自身が受けた暴力被害などがヘイトに動機づけられている、と認識している人も多く、トランスジェンダーに対する社会の憎悪が、こうした犯罪被害の高さを生んでいると考えられます。
主たる結果も紹介したので、ここからは今回の調査報告について背景も含めて紹介していきます。
3・調査の背景
まず調査の背景です。トランスの人びとの犯罪被害については、事例データやサンプル数が少ない研究では、すでにその被害のリスクの高さが知られていました。なおここで犯罪被害とは、法律を犯した他者の行為によって、ある人自身もしくはその人の財産が棄損され・傷つけられることを言います。
しかしヘイトクライムの調査を除けば、こうした問題に取り組む全米規模でのデータには、限られたものしか存在しませんでした。そんな折、致死的ではないタイプの犯罪被害の統計をとるために2016年に開始された全米犯罪被害調査(NCVS)において、調査回答者の性的指向や性自認が記録されることになりました。LGBTの人たちの犯罪被害の実態を、統計的に知ることができることになったということです。
調査開始1年後、2017年時点のデータでは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、そしてトランスジェンダー(つまりLGBT)の人びとと、シスジェンダーの異性愛者とで、被害に遭う確率がかなり違っていることが明らかになりました。とはいえ、サンプルサイズが小さかったために、LGBTの中のサブグループ(例えばバイセクシュアルの女性や、トランスの人びと)に関する分析に制約が残りました。
そこで、データをさらに集め2年分収集したところ、USにおけるトランスの成人における、全米規模での犯罪被害の実態を推計するための最初の知見を得ることができました。今回の報告書(論文)は、その成果を記したものになります。
4.調査の方法
以上のように、この調査報告は、全米犯罪被害者調査(NCVS)より、2017~2018の2年間にかけて集積された犯罪被害のデータを分析した結果をまとめたものです。部分的に繰り返しますが、NCVSとは、合衆国に世帯をもつ12歳以上の人びとを登録した全米規模の調査で、警察に通報されたものも、通報されなかったものも含めて、犯罪被害のデータを集積しています。今回の調査で使用されたデータは、2017年と2018年の2年分のデータであり、そこには296,563の世帯と482,469の個人が含まれています。
今回の調査では、出生時に割り当てられた性別とは異なるジェンダー・アイデンティティを現在有する人、および(出生時の割り当ての回答を拒否したとしても)調査に対して「トランスジェンダーである」と回答した人が「トランスジェンダー」に分類されています。
その分類基準によれば、2016-2017年のサンプルのうち、全体の0.1%(n=420)の回答者がトランスジェンダーであり、99.9%がシスジェンダーでした(n = 435 061)。うち、トランスジェンダー男性が181人、トランスジェンダー女性が188人、そして最後に、出生時の性別割り当ての回答は拒否したものの「トランスジェンダー」であると回答した人が51人いました。以上のように、今回の調査では「ジェンダー・ノンバイナリー」の人びとの状況を独立に評価することはできていません。
5.分析にあたって
全サンプルをシスジェンダーとトランスジェンダーで分けた後に、更に現在のジェンダー・アイデンティティに沿って区分し、分析しています。①:1000人当たりの対人の暴力被害(傷害など)の割合、②:1000世帯当たりの財産・所有物に関する被害(窃盗など)の割合、③:被害を警察に通報したか否かの割合、そして④:その被害をヘイトクライムとして自分が見なしているか否かの割合、の4点が分析対象です。
なお世帯については、その世帯に最低1人でもトランスジェンダーの個人がいる世帯が「トランスジェンダーの世帯」として分類され、他方で、1人もトランスジェンダーの人がいない世帯が「シスジェンダーの世帯」として分類されています。
6.結果 主な結果です。
【集団としての傾向】
シスジェンダーの人びとと、トランスジェンダーの人びとで、人種、エスニシティ、教育などの状況にあまり差異はありませんでした。ただ、トランスの集団には若い人が多く、結婚したことのない人の割合も高率でした。
また、シスに比べてトランスの人は郊外に住む人が多く、また世帯としても、収入が低い傾向にありました。
【暴力被害】
暴力被害に遭う確率は、シスの人びとでは1000人あたり21.7人でしたが、トランスの人びとでは1000人あたり86.2人でした(odds ratio [OR] =4.24; 90% confidence interval [CI] = 1.49, 7.00)。
男性でも女性でも、同様の傾向にありました。
トランスジェンダーの女性が暴力の被害に遭う確率は1000人中86.1人、トランスジェンダーの男性では107.5人でした。これはシスジェンダーの女性(1000人中23.7人; OR= 3.88; 90% CI = 0, 8.55)や、シスジェンダーの男性 (1000人中19.8人; OR= 5.98, 90% CI = 2.09, 9.87)と比べても、高い確率ということになります。
ただし、トランスジェンダーの男性と、トランスジェンダーの女性のあいだには、有意味な違いはありませんでした(Δ = 21.4; SE = 68.7; P= .76)。
【財産・所有物への被害】
トランスジェンダーの人がいる世帯は、財産・所有物に対する被害に遭う確率がシスジェンダーのみの世帯よりも高いことが分かりました。前者では、1000世帯中214.1世帯、後者では1000世帯中108世帯という確率になります(OR = 2.25; 90% CI = 1.19, 3.31)。なおこれは、ジェンダーを問わず同じ傾向でした。
【ヘイトクライムとの認識】
自身が受けた暴力被害をヘイトクライムとして認識しているかどうかについても、トランスジェンダーとシスジェンダーでは大きな違いがありました。
暴力被害に遭った人のうち、それをヘイトクライムとして認識しているケースは、シスジェンダーの人では9%でしたが、トランスジェンダーでは19%でした(19% vs 9%; Δ = 9.8; SE = 6.2; P = .12)。
トランスジェンダーの女性と、シスジェンダーの女性のあいだにも、大きな違いが観られました。自身の被った暴力被害がヘイトに基づくものであると認識している人の割合は、それぞれ28%と9%でした (28% vs 9%; Δ = 18.4; SE = 7.7; P = .02)。
財産・所有物に対する被害がヘイトに動機づけられていると認識している世帯の割合にも、トランスジェンダーとシスジェンダーで4%対1%という差がみられましたが、しかしこれについては標準誤差のばらつきが大きいです。
【警察への通報】
被害を警察に通報した人の割合は、トランスジェンダーでもシスジェンダーでも、いずれも約半数ほどであり、違いはありませんでした。
7.報告書のまとめより
今回の調査は、アメリカ合衆国の成人のトランスジェンダーにおける犯罪被害を国家規模で分析した、最初の研究だと考えられます。
ここで示した結果は、トランスジェンダーの人びとがシスジェンダーの人びとに比べて犯罪被害に遭いやすい事実を示しています。
犯罪被害に遭う確率は、トランスジェンダーの男性と女性で、大きな違いはありませんでした。警察への通報はシスジェンダーと同様に低いですが、これは2015年のトランスジェンダー対象の大規模調査の結果と同じです。(※ここで言う大規模調査とは、この記事の冒頭に紹介した調査を指します)
これまで、有色のトランス女性が殺害されるような事件にはメディアの注目が集まってきましたが、ここで報告されているようなタイプの犯罪被害の実態には、注目が集まりにくく、トランスジェンダーの女性と男性が同様に被害に遭っているという事実も、知られていませんでした。
暴力被害に遭ったトランス女性の4人に1人が、それをヘイトクライムとして認識していると言うことも今回明らかになりました。
ただ、サンプルサイズが依然として小さく、サブグループで細かい分析ができていない点は、この研究の限界です。特に、ジェンダー・アイデンティティと人種、エスニシティ、年齢、などの交差を評価することができていません。
ここで調査した犯罪被害は、自殺率などとも密接にかかわるため、トランスジェンダーの人びとがこうした特異なリスクにさらされていることを認識することは、公衆衛生の向上のためにとても重要だと言うことができます。
8.終わりに
以上で、報告書の紹介は終わりです。最後まで読んでくださりありがとうございました。トランスジェンダーに限らず、マイノリティ集団はしばしば「社会に危険をもたらす存在」としてイメージされています。そのため、何らかのマイノリティ集団に属する個人が犯した犯罪が、一挙にマイノリティ集団全体へと拡張され、集団全体が「危険な」存在としてフレーミングされる、といったことがおきがちです。
しかし実際には、言うまでもなく、社会で相対的に力を奪われがちなマイノリティ集団は、犯罪の加害者になる確率よりも、圧倒的に高い割合で、犯罪の被害者になっています。今回紹介したアメリカのデータは、トランスジェンダーという集団について、そのことをはっきりと示しています。
端的に言います。トランスジェンダーの人は、シスジェンダーの人よりも、4倍もの高い確率で暴力被害に遭っています。そして間違いなく、その暴力の大半は、シスジェンダーの加害者によるものです。ですから、トランスの人びとの特殊な加害性を言い立てる言説は、端的に事実に反したヘイト言説であると言うほかありません。
このような、無知と偏見の生みだす「危険な存在への恐怖」は、マイノリティ集団を社会からより一層排除するための理屈として用いられます。しかし私たちは知っておく必要があります。トランスジェンダーの人びとは、シスの人びとよりもはるかに暴力の被害に遭っていて、だから必然的に、シスの人たちよりもずっとずっと、トランスの人たちは自分が暴力を受けることを恐れながら生きているということです。