ゆと里スペース

いなくなってしまった仲間のことも思い出せるように。

フェミニズムとアイデンティティの政治(NHKカルチャー青山)

 明日、9/29(金)NHKカルチャー青山さんにて、清水晶子さんと2度目のフェミニズム対談(?)をやります。テーマは「フェミニズムアイデンティティの政治」。伝説的に楽しかった昨年の講座「トランスジェンダーフェミニズム」を受けて、今年も講座が実現しました。

 以下のリンクから、対面とオンラインと、それぞれ申し込みができます。アーカイブ動画の配信ももちろんあります。

◆9/29(金)19:00~20:30 

教室受講:

https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1277343.html

オンライン受講

https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1277345.html

 アイデンティティの政治という言葉は、いま(特にアメリカなど英語圏で)やっかいな使われ方をしています。「ジェンダーだのLGBTだの、新奇な言葉を使いながら、マイノリティがやかましく自分たちのアイデンティティを主張して、社会に余計な分断を持ち込んでいる」とか。あるいは「アイデンティティの承認を求める運動にリベラル派が注意を持っていかれたせいで、本当に大切な問題が見失われ続けている」とか。なんとなく気に入らない社会正義の実践や社会運動をまとめて腐すためのレッテルとして、「アイデンティティの政治(identity politics)」が使われています。

 日本語圏で、そうしたレッテル貼りとして「アイデンティティの政治」という言葉が使われる機会は少ないですが、「マイノリティによる不合理なアイデンティティの主張によって、キャンセルカルチャーが加速している」みたいな、すさまじく解像度の低いバックラッシュ言説は、掃いて捨てるほどあります。あの感じを、なんとなくイメージしてもらえれば。

 他方で、そうしたレッテルとしてではなく、アイデンティティの政治とはどのようなものであるかを考えるのはとても重要なことです。そして今回の講座では、とくにフェミニズムアイデンティティの政治について、重点的に話をします。

 現代的な感覚としては、もしかするとピンとこないかもしれませんが、フェミニズムもまたアイデンティティの政治としての側面を持っています。歴史的に、間違いなくそうした面がありました。ときに「女性であることはアイデンティティではなく階級なのだ」と表現されることもありますが、その実質がアイデンティティの政治であると言うほかない理論や運動は、フェミニズムのなかにたくさん見いだすことができます。それ自体は、多くの人が異論なく同意できる事実だと思います。

 考えるべきは、そこで「女/おんな/女性」というアイデンティティのもとに集ったフェミニストたちの実践そして理論が、なぜそのようなアイデンティティの政治を求めることになり、そこにどのような功罪があったのかということです。

 そもそも「アイデンティティの政治」という言葉自体は、コンバヒー・リバー・コレクティブのステイトメントのなかで使われ始めたものであることが知られています。異性愛中産階級の白人女性中心のフェミニズム運動においてしばしば不可視化されてきた(あるいは不可視化され続けてきた)、黒人のレズビアン女性や労働者階級の女性たちの経験、そして彼女たちの置かれている政治的な環境の差異を際立たせ、主張する必要が「アイデンティティの政治」という言葉と、そうしたパースペクティブに基づく運動とを求めたということです。

 もちろん、コンバヒーコレクティブ以前のフェミニズムが、アイデンティティの政治と無縁だったわけではありません。それは先ほども書いた通りです。とはいえその事実から想起すべきは、アイデンティティを前に出さなければならないという、のっぴきならない政治状況こそが、アイデンティティの政治を求めてきたということです。

 たほうで、少し時代がくだって90年代。清水さんが専門とするクィア理論が運動と共に生まれたのは、アイデンティティを基礎に置く政治をまさに批判し、それを乗り越える必要性が(それこそ緊急に)認識されたからでした。今回の講座のための打ち合せで清水さんがおっしゃっていたのは、清水さんがフェミニストとしての思考の歩みを始めたのは、そのような「アイデンティティ(の政治)に対する信頼/安定的な依拠」がゆらぐ時代のテクストや思考と共に、だったということです。

 あるアイデンティティのもとに集う人々は、本当に「○○としての経験」を共有しているのでしょうか。置かれた状況は、同じなのでしょうか。レズビアンにせよ、トランスジェンダーにせよ、あるいは「女性」にせよ、あるアイデンティティのラベルを自分に「引き受けること」は、そのような人「である」ことと、どらくらい同じであることができ、あるいは同じであることができない(ことがある)のでしょうか。もし、そこに「すきま」があるのだとしたら、アイデンティティの政治は、そのような「引き受け」のプロセスをなかったことにもしてしまうのではないでしょうか。

 そうして振り返ると、アイデンティティの政治としてのフェミニズムの歴史にも、多様な「フェミニスト」がいたという事実が、また違った仕方で/あるいはより多彩に、見えてきます。この講座でとくに注目されるのは、トランスジェンダートランスセクシュアルの存在です。

 昨今「第二派フェミニズムこそが、真に女性の状況をまじめに考えるフェミニズムであり、第二派フェミニズムトランスジェンダーという存在など認めなかった➤だからトランスジェンダーに親和的なフェミニズムは偽物のフェミニズムだ」といった乱暴なもの言いをするトランス排除的フェミニストが増えています。つまり、第二派フェミニズムとはなんであったか(なんであるか)という歴史の解釈が、トランス排除をめぐるフェミニストの政治の一部を構成しているということです。

 これに対して、「第二派フェミニズム運動のなかにもトランス女性は混じっていた」と主張することは、確かに大切でしょう。そうした歴史研究もたくさん積みあがっています。しかし、それだけでよいのでしょうか。

 ひとつには、今でいうトランス男性やトランスマスキュリンな人々が、フェミニズムの歴史において(理論のうえでとくに)果たしてきた貢献が、このような応答によっては忘れられてしまいがちです。ある時代、ブッチレズビアンとトランス男性(マスキュリン)のあいだに走った、切迫感のある(血の流れるような)緊張の歴史も忘れるべきではありませんが、「男性もフェミニストになれるのか」という問いに対して、その実存をかけて答えを出してきたトランスの男性/マスキュリン的な人たちがいることは無視できない事実です。

 もうひとつには、「女であるとはどのような意味なのか」という、第二派フェミニズムにとっての核心的な問いに対して、トランスセクシュアル(当時の言葉)の女性たちの存在と思考が与えてきた貢献を無視してはならないということです。ラディカルフェミニストであるマッキノンのような論者が問うてきた、女性sex であることはどのように構成され、どのように性差別的な抑圧の構造に挿入されているか?という問いが、トランス的な問いと無縁でないというのは、近年の研究をまつまでもなく明らかです。

 問いはこうして、アイデンティティとはそもそもなにか、という水準にも到達することになります。ただ、この問いだけを見るなら、歴史を参照する必要などないかもしれません。トランスやクィアな人たちは、自分たちにとってアクセス可能な言葉のなかから、「しっくりくる」ものを探し出すという経験をするものだからです。とはいえ、そうしたプロセスを「引き受け可能な言葉を探すプロセス」として見るか、「本当の自分を探すプロセス」と見るかで、そのアイデンティティを政治へと転化する場合の方向性も大きく変わってくるでしょう。

 あぁーー!書きたいことが止まらなくなってきました。

 明日が楽しみで仕方がありません。

 ちなみに昨年の講座のあとは、あまりにも楽しかったので記録のブログを書きました。

yutorispace.hatenablog.com

  今年も、終わった後にこんな楽しい報告ブログを書けるといいなと思います。

 皆さんと講座でお会いできるのを楽しみにしています!